サンライズの物語

サンライズでは、ご利用者様の「安心」と「笑顔」のためにできることを追い求めています。
たくさんの出会いの中で、私たちはご利用者様から多くのことを教えていただきました。
ここでは、ご利用者様とのお付き合いの中で生まれた心温まる物語をご紹介させていただきます。

エピソード58 人生の先輩との出会い――
平和な未来を願う物語

その方は高齢ですがいつも前向きでお会いすると元気を貰えるような方です。私の亡き父と同じ年齢でした。

大東亜戦争の時、私の父の兄が兵隊へ召集された時に「絶対に志願して戦争に行っては駄目だよ」と言い聞かされていたにも関らず16歳だった父は兄の言いつけを守らず海軍へと志願したそうです。若かりし時の父の海軍の写真はいつも隊長の横に鎮座しておりました。

その方も志願して戦地へと行ったとの事。連合艦隊指令長官だった山本五十六氏と一緒だったそうです。
戦艦大和にも乗船していましたが、ある時山本五十六氏が「年の若い者は降りろ。これからの日本を支えるんだ」と無理やり下ろされたとの事。その方曰く「今生きているのは山本五十六氏のお陰だ。先見の明があった人だった」。

以前、山本五十六氏の姪の方からも話しを聞いた事がありました。山本五十六氏の画廊には巻物があり、その中には「この戦争に日本は負ける」と記載してあったとの事。

何故その時戦争と言う選択しかなかったのか悲しい思いにかられます。
人生の大先輩方との出逢いに感謝するとともに、戦争を知らない後世の人達に伝えていかねばならない責任とこれからの新しい時代において二度と同じ過ちは犯さないで欲しいと願うばかりです。

エピソード57 あと何日か早ければ――
悔しさを胸に改善を心に誓う物語

その方との出逢いはお嫁さんからの一報でした。その日に訪問すると簡易ベットに横たわり仙骨、背中に大きな褥瘡が出現していたのでした。

お嫁さんがオムツ交換や担当の医師へ相談をして褥瘡の手当てをしていたのですが、なかなか改善しないとの事。近所の知人に相談して介護保険申請を行い決定が降りたので地域包括へ相談したとの経緯でした。

その日の内にエアーマット搬入し訪問診療の医師も駆けつけ褥瘡をデブリ(悪い部分の切除)し手当てを行ったのでした。その日が金曜日だったこともあり介護保険サービス利用時の担当者会議が翌週の月曜日と調整をしていましたが次の日の夜、お嫁さんより連絡があり「意識がない」とのこと・・・訪問診療が訪問致しましたが永眠されてしまったのでした。

残念でたまりませんでした。あと何日か早く連絡が来れば・・・家族に誰かが暫定でも介護保険サービスの利用が可能だという情報を伝えていれば・・・悔やんでも悔やみきれない結果になってしまったのです。

世の中の人達に介護保険の存在は周知されていますが困った時にどうすれば良いのかを理解していない方々が沢山いらっしゃいます。このような事が二度と起こらないような仕組み、地域社会において町会や民生委員への呼び掛け等、私達一人一人が隣近所の高齢の人達が今どんな状況にあるのかに関心を寄せなければならないと考えます。

エピソード56 “自分らしい”最期のために――
決意を新たにする物語

その方は夫が亡くなってから独りで生活をされていた方でした。慢性呼吸器不全に罹患しており在宅酸素を利用し夜間は「シーパップ」を装着していた方でしたが、人の世話にはなりたくないと何時も自分でできる事は何でもされておりました。

関わる人達に感謝の言葉を言い続け、「いい人よ」が口癖でした。そんな中状態が悪化し入院を余儀なくされたのでした。

入院中面会に行くと言葉も聞こえない程体力が低下していました。担当の看護師からも危篤な状態ですよ。と告げられたのです。

そんな時担当看護師より「井上に会いたい」との連絡があり面会に行くと「自宅へ戻りたい」と・・・「戻りましょう。皆が待ってますよ」言うのが精一杯、涙が零れてきたのです。

誰もが自宅へ戻り自分らしい生活を夢みているのに、医療処置が高い人達は現実には戻れないのが事実です。地域ケアネットワークの構築が叫ばれている中、どんな人でも安心して自宅へ戻れるような体制を作らねばならないと感じております。
誰が作るのか・・・それは私達です。小さな力を寄せ集め大きな力に変えていかなければならないと思う強い意思です。足りない社会資源があれば、抱き起こすのだと心に誓うこの頃です。

エピソード55 自分よりも周りのみんな――
人を思いやる心に胸を打たれる物語

その方は夫が亡くなってから独りで生活をされていた方でした。脊柱管狭窄症に罹患してからも痛みで動けなくなるまで日本舞踊を舞い自宅でカラオケなどを楽しんで充実した余生を過されておりました。

歩行が困難になっても室内で車椅子を自走し腰の痛みがあっても自分自身で「頑張れ、頑張れ」とベットへの移乗をしていた姿が忘れられません。

そんな中少しずつ身体機能、認知機能は低下しベット上の生活となってしまったのです。以前中国で社長秘書をしていた事もあり中国語が得意でヘルパーが訪問すると中国語で話されたり歌を歌ったりしていたのです。

ある日誤嚥性肺炎になり食事を摂ることも忘れ高栄養剤のみを摂取して生命を維持し続けていました。定期訪問で訪問すると自分のことよりも私の手を取り「手が冷たいから布団の中へ入れて温めなさい」と自分の手で私の手を温めてくれた優しい方でした。

自分が何も出来なくなっても人を思いやる姿に涙が零れて止める事ができなかったのを思い出し胸が熱くなります。

身体機能や認知機能が低下しても自分よりも相手への優しさや思いやりを忘れないこと・・・どうしたらできるんだろうと何時も考えます。その方の頭の奥にある何にも阻害されない記憶・・・人間の無限の力を感じた瞬間でした。

エピソード54 きっかけは“片付け”――
役割が人を輝かせる物語

その方は認知症に罹患し妄想や幻覚が出現し近所とのトラブルが絶えず一旦は施設へ入所されたのですが、ご家族が施設に面会へ行くとぼんやりとしていて認知症が進行してしまっていたとの理由で自宅へ連れ帰った方でした。

初めてお会いした時は発語もなくうなだれていたのが印象的でした。物忘れがあり薬も飲まない状況でした。通所介護を利用して服薬管理をしたらどうかと提案し毎日通所介護へ通い出したのです。

施設でも帰宅願望が強くレクが終わると「それでは、このへんで失礼致します」と帰り支度を始めます。そんな中、職員が以前の明るさや生きる張りを思い出して欲しいと思い提案したのが職員の仕事を手伝って貰う事でした。

帰る支度をする時に通所介護の職員が「まだですよ。仕事が残ってます。食事の盛り付けや片付けを手伝って貰っても良いですか?」と言うと「何の仕事?」と手伝い始めたのでした。

自宅へ定期訪問しても最初にお会いした時とは見違えるように色々な話をされ「通所介護では重宝にされているのよ。仕事が一杯あって楽しいの」とのこと。

物忘れがあってもできる事が沢山あります。その方の生活暦に寄り添い、その方のできる事を引き出す事の大切さ、家族や誰かの為に何かをする事で自分が役に立っている喜びが、その人を輝かせるんだと実感しました。

エピソード53 命に携わる認識の大切さ――
心構えを憂う物語

その方との出逢いは退院した当日のことでした。訪問すると呼吸苦に苦しみ話もできない状態、退院時に担当医からは自宅へご本人が戻りたいと言っているので退院しても構わないとの話だけだったとの事。

すぐ様、知り合いの訪問診療の先生に連絡をしたところ在宅酸素を自宅へ運んでくれましたが、訪問診療の先生からも「こんな状態で何故退院になったのか?」との質問がありましたが、家族の方々は「父は自宅へ戻りたがっていましたが、まさかこんな状態だとは説明を受けていない」との事。

自宅で各サービス事業所と連携を取り毎日訪問していましたが状態が悪化し退院した病院へ緊急搬送となったのです。病院の相談員からも連絡が来ましたが「あんな状態で退院させるのは酷いですよ」との問いに「退院連携は担当医と担当看護師からの指示なので退院前会議は行わなかった」との見解。

その後家族に看取られながら永眠されたのでした。後日ご家族宅へお悔やみの訪問をすると、何故あの時にあの病院へ入院させたのかと担当医への不満とご家族が自分達の対応への後悔と悲しみで涙を流されておりました。「ご家族様の色々な思いや後悔はあるかも知れませんが、その場ではあの判断が最善だったと思えませんか?ご家族がご自分達を責めて生きる事をお父様は望んでないと思いますよ」と言うのが精一杯で私も涙が零れて止まりませんでした。

地域との連携、地域ケアネットの推奨が叫ばれている中病院側の対応、担当医から自宅へ戻る時のリスクの家族への説明が何故されなかったのか残念でたまりません。私達介護職だけでは無く、医師会など他職種も認識を高めなければならないのではないかと考えます。

エピソード52 見えないものを見る力――
これからの社会を想う物語

厚生労働省において「地域共生社会」の実現に向けて改革の基本コンセプトが具体的に進められております。高齢化や人口減少に伴う生活領域における支え合いの基盤が弱まっている中、再構築することにより様々な困難に直面した場合でも誰もが役割を持ち、お互いが配慮し存在を認め合い、支え合うことで孤立せずにその人らしい生活が送ることができるような社会が求められているとのことだそうです。

先日役所の研修会でも講師が「皆さんは貧困に困っている子供達を町で見かけたことがありますか?無いでしょうね。それは見ようとしていないからです」と言われた時に衝撃を受けました。介護職に置き換えると認知症の方々を町で見かける事は多々あります、同じ事ですとも言われておりました。

私達が見ようとしないだけ・・・見えないものを見る力が問われていると感じました。

また幼児教育に携わっており、NPO法人として「こども食堂」をしている方と話をした時に「日によっては一人しか来ない時もあります。でも、一人でいいんですよ。一人を救えればその子供が生涯に関る人達は何十人にもなる」とのこと。凄いと思いました。

いま私達が何ができるのか?心のバリアフリーとも言われますがバリアを取り除けば気づくことができるともいわれてます。

共生社会、地域包括ケアシステムの強化のためにも、見えないものを見る力を養わなければならないと考えます。

エピソード51 皆で心を支える大切さ――
けがによる失意から勇気づける物語

その方は自宅で胸椎圧迫骨折になってしまった方でした。入院中と聞き病院を訪問すると今まで日本舞踊を習っており仲間と発表会を控えた矢先に転倒してしまったとの事。

病院ではサークルの歩行器を使用しておられましたが患部の痛みや今の自分自身に意気消沈、まさか自分がこんな事になるとは想像もしていなかったと涙を流されておりました。

「自宅へ戻ったら日本舞踊の再開を目標にしましょう」と言葉を掛けても「もう駄目だよ」との答 え・・・そんな中、退院へ向けて看護師長から「胸椎圧迫骨折は患部だけがもろくなっている訳ではなく他の骨も弱くなっているんですよ。今から骨を補強する為にできる事は食事をしっかり摂る事、日光を浴びる事ですよ。今の食事が10年後の自分の身体を作るんですよ。諦めずに前を向かなければ駄目です」と言われたのです。

話を聞いた時の眼の輝きを忘れることができません。自宅へ戻り近所へ散歩をするのを日課にし、毎日煮干をかじって過されたのです。

1ヶ月後その方にお会いすると何と福祉用具の方に杖の使い方を習い、とても上手く使っておられました。そして「もう一度日本舞踊を踊るんだ」と力強い言葉。

私達介護職が一人一人の心に寄り添い目標を立てても上手く行かない事が多い中、その方を取り巻く関係者の援護射撃が必要なのだと改めて感じました。地域のケアネットワークの大切さに気付いたのです。職種に関係なく地域が一人一人を支えなければなりません。

エピソード50 最期を迎える場所――
見送るご家族との幸せを想う物語

その方は末期の胃癌に罹患し保存的治療しかないと診断された方でした。
病院へ訪問すると気力が低下しており、告知をされてから食欲も無くなってしまったとの事。ただただ自分の家へ帰りたいとの思いがあると奥様に話を聞き次の日に自宅へ戻ったのでした。

自宅へ戻った時のお顔の表情が病院に居る時とは別人で、笑顔も見られ大好きなビールは飲みましたか?との問いに「飲んだよ。うまかったよ」との答え。病院では食欲も全く無かったのでしたが家に帰るとあれが食べたいと奥様に要求していたのです。

治療方法が無くなった方にとっては自分が生まれ育った家に帰ることが安心できることであり、そして自分の最期を送る覚悟を家族と一緒に考える場所だと思います。

自宅へ戻り9日目の朝奥様から「呼吸が止まったり動いたりしている」との知らせに「ご本人は耳は聞こえているから安心できる言葉を掛けてください」と伝えたのでした。そして夕方息子さんやお孫さん達に見守られ天国へと旅立ったのです。

お悔やみに訪問すると奥様から「自宅へ連れて帰ってよかった。最後まで家族の声を聞いていました」と涙ながらに話されておりました。
看取るという事を考えた時にその方が人生の最後に幸せだったと思えるのか、そしてご家族がこれでよかったと思えるのかが、大事なことだと思いました。

エピソード49 認知症を地域で支え合う――
安心して暮らせる未来に思いを馳せる物語

弊社のご利用者様にも認知症と診断された方々が沢山いらっしゃいます。
お母様、お父様が認知症という病に侵されていく時のご家族の苦悩は図りしれないと思います。

しかしながら、ご本人もまた苦しんでいるのも事実です。今覚えていたことを思い出せなくなり、どうしても分からなくなっていく恐怖はご本人にしかわからないことだと思います。

また、ご家族におかれましては、今まで元気に暮らしていたご両親・・・子供の頃から頼っていたご両親・・・毎日同じ事を繰り返し聞くようになっていく・・・そんな時の喪失感や焦燥感は親族の方しか分からない悲しみとなってしまいます。

これからの社会に置いて重要なのはご家族だけで抱え込まないように地域で支えること。地域のネットワーク作り、町会の方々や地域で行っているサロンへの参加の呼びかけなど、まだまだ行き渡っていない のが現実です。今までご家族の為に一生懸命に働いてきてくれた高齢者の方々が安心して暮らせる世の中になるように、少しでもお力になりたいと考えております。

エピソード48 最期を看取る辛さにどう寄り添うか――
介護職のあり方を考えさせられる物語

その方との出逢いは末期の肺癌に罹患し脳へ転移し治療方法がない状態で自宅へ戻る時でした。
自宅では障害を持っている奥様と二人暮らし。近所に一人娘さんが居るだけでした。
お会いした時に拝見した笑顔がとても素敵で「何もする事がないなら自宅へ戻りたいんだよね」との言葉が印象的でした。

在宅へ戻った当初はとても元気で大好きな新聞を読んだり奥様の手料理を美味しいと食べたりと・・・「戻って来て良かったよ」と言っておられましが病魔は確実に身体を蝕んでいき、あっと言う間に酸素、疼痛管理となってしまったのです。

私が最後にお会いした時はベットの上で声を掛けるとうなずくだけでしたが、次の日天国へと旅立たれました。 お悔やみに訪問すると奥様や娘様から感謝の言葉を頂きました。
そんな時いつも私の頭の中をかすめる言葉があります。
「私はこの方や家族の為にもっと出来ることはなかったのだろうか︖」
家族を看取る辛さ、悲しさにもっともっと寄り添える介護職でいなければならないと心に誓うのです。

エピソード47 家族が認知症を患ったそのとき――
認める勇気と家族の絆の物語

その方との出逢いは、認知症に罹患し自分の家も分からなくなくなり徘徊を続けておられた時でした。妻に先立たれ自営業で男の子二人を男手一つで育てられた方でした。
長男家族と同居はしておりましたが、食事の摂り方が分からなくなり排泄も上手く行かなくなった時の長男さんの落胆は図り知れないものでした。食事の後にお皿を舐め始めた時・・・排泄が上手く行かずに失禁した時・・・長男さんが涙を流していたとお嫁さんから聞いたものでした。
夜間も外へ向かい怒鳴り始めた時に、お嫁さんが長男さんに言った言葉が印象的でした。
「貴方の父親ですよ。今は認知症になっているかも知れないけれど、一番苦しんでいるのはお父さんだよ。もっとお父さんに向き合わないと駄目だよ」と・・・。

その事がきっかけとなり長男さんが昔のお父さんをご本人様に思い出して欲しい一心で日中車椅子で散歩をさせたり、自分を育ててくれたエピソードを懐かしく話したりと懸命に関るようになったとの事。近所へも自分の父親が認知症なので見かけたら教えて欲しいと伝え歩いたとの事です。

そうした行動を起こすと不思議に夜間不穏になることがなくなったとの事でした。

認知症の問題が今世間では取り上げられていますが、地域との共存できる世の中を作るのは誰でもない、認知症の家族を持っている人達や地域の人達の認識に掛かっているのではないかと考えます。
自分の家族が認知症に罹患した時、やはり自宅の中に居てもらいたい、近所の人に知られたくないと思うのは当然の気持ちだと思いますが、勇気をもって心を開くことで認知症の人達が住みやすい、そして家族の方々が安心して介護できる世の中になるのではないか、それこそが私達が目指すものではないかと思います。

エピソード46
奥様の強い想い、最後の願いを叶える物語

その方との出逢いは、末期の大腸癌に罹患して自宅への支援体制を整えて欲しいとの大学病院のMSWからの依頼があった時でした。病院へ初回訪問しようと日程を決めておりましたが、腫瘍の進行が早く在宅へは戻らずにホスピスへ転院すると連絡が入ったのでした。

1ヶ月が経ち、今度はホスピスの担当看護師からの連絡……ご本人様がどうしても自宅へ戻りたいと希望しているとの事。某月3日に病院へ看護師、福祉用具と訪問すると意識も混濁しておりご主人様が泊まり込みで看病していたのでした。

担当看護師からは自宅へ戻っても1週間は持たないだろうとの見解でしたが、ご主人様も奥様の願いを叶えて欲しいとの一途な想いの中次の日に退院する事となり自宅へ戻りました。

自宅へ戻った当日、大好きなご主人様と一緒に近所へ車椅子で散歩へ出掛けた時の満面の笑顔が印象的でした。

次の日に訪問入浴を利用して入浴しましたが4日後に眠りについたのでした。
ご主人様にお悔やみを申し上げる為訪問すると泣きじゃくっておられ、昨日も息子さんが奥様の両指にマニキュアを塗っていたとの事。
元々アパレル関係の仕事に従事していた奥様はおしゃれをするのが大好きだった事もあり、とても喜んでいたとの事。最後まで息子さんと一緒に奥様の耳元で話し掛けていたとの事。

ベットの上で眠っていたお顔が安らかで、ご家族様に見守られて天国へと旅立ったことだと想い涙が溢れてきました。

ご家族様、ご本人様の強い想いが叶えられた最期だったと思います。

エピソード45 もう一度子どもたちに食事を作りたい――
最期の選択と決断の物語

その方との出逢いは、末期の癌宣告を受け手術をした後の頃でした。

女手一つで二人の子供を育て、やっと子供達が社会人になる矢先のこと・・・
身体の異常に気が付き受診すると癌との診断。
大きな病院を紹介され受診したものの、癌の進行の状況が激しく、手術を何度か施術したのも束の間、治療方針が無いと判断されたのでした。

お姉様が病院を受診した時に末期だと告知してくれたら手術を何度も受けなかったと話され、訪問看護担当者からも病院を選ぶことは難しいと言われました。
もう一度自宅へ戻り息子達の為に食事を作りたいとの思いが募り自宅へ戻る事となったのです。
主治医からは余命1ヶ月と宣告され不安で一杯のお顔が印象的でした。

訪問看護の担当者から「何も心配はいらない。安心して自宅へ戻りましょう。」と言う言葉に満面の笑みと涙が零れておりました。
自宅へ戻り息子達と毎日布団で川の字に寝ていたのですが、1ヵ月後永遠の眠りについたのでした。

病院選びの難しさ、ご本人に対して選択肢をきちんと説明してくれる病院なのか。
最期を何処で迎えるかの決断・・・病院側の判断・・・いろいろな意味で考えさせられました。

エピソード44 介護職ができることとはなにかーー
介護職の在るべき姿に、思いを馳せる物語

その方はヘルパーが訪問して帰る時に、何時までもベランダから手を振る気さくな方でした。

お風呂が大好きで毎日お風呂へ一人で入っておられましたが、認知機能や身体機能が低下し、ある日、一人でお風呂から上がれない状況になり弊社の職員総出で助けに行ったことがあってから、一人ではお風呂に入らないようにとお風呂場に張り紙をしたこともありました。

そんなある日の事・・・朝ヘルパーが訪問するとベットで動かないとの知らせ・・職員が駆けつけると息絶えておりました。

昨夜お風呂に入った様子があり息子さんから「最後に大好きなお風呂に入れたんだ。よかったね」との言葉を聴いた時に介護職としてご本人様にはお風呂に入らないように伝えた事がいいのか悪かったのか分からなくなってしまったのです。その方の一番望む生き方は何だったのか?

私がヘルパー2級の講習で講師が話した事を思い出しました。
「皆さんは障害者の方が交通量の多い道路で車椅子で一人で居たらどう思いますか?危ないから安全な自宅に居ればいいのにと思いませんか?それは間違っています。どんな障害を持っていても危険に合う権利を持ってますよ。たとえば綺麗なバラも温室で誰にも見てもらえなかったら、誰も綺麗だとは言わないですよ。」と聞いた時に衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。

何が正しいのかは私にはわかりません。
結果論かも知れませんが私達介護職は常にご利用者様の思いに心を馳せなければならないと突きつけられたように思いました。

エピソード43 介護職ができることとはなにかーー
「介護」を通じて見えた、
心の奥のやさしさと悔しさの物語

その方にお逢いしたのは昨年末でした。
膀胱癌に罹患し余命宣告をされましたが、最後は自宅で過ごしたいとの強い想いから退院されたのです。

奥様と二人暮らし。奥様に面倒を掛けたくないとの一心から介護サービスを利用したいとの事。初めてお逢いした時の悲壮感に溢れたお顔が印象的でした。本心は介護保険は使いたくない・・・ベットなどに寝たらお終いだよと・・・その訳を聞いてみるとご本人様がご両親やご兄弟の介護をして最期を看取ったとの事でした。

サービスを始めるに至るまでの、その方の想いが私の頭の中を巡りました。
私が作らせて頂く、お一人お一人の計画書、ご本人様やご家族様の想いを代弁できればと・・・そんな想いの中担当 者会議にて計画書を読み上げた時ご本人様の眼から大粒の涙が零れました。奥様からも「どうして私達の心の中の想 いが分かったの?」と何度も何度も話されて胸が一杯になってしまいました。

ベットをあれほど拒否していたのに利用する事になり流された涙・・・オムツ交換になってしまった時に流された涙・・・

余命宣告をされ自分の身体が動かなくなっていくもどかしさや悔しさの中で妻を思いやる優しい気持ちを悔しい想いを最後まで忘れない方でした。

ご本人の強い思い、ご家族を思いやる気持ちに私達介護職が、どこまで寄り添えるのかと考える機会を与えて下さったように思えてなりませんでした。

エピソード42 思い描いた最期を全うしたい......
ご兄弟との強い絆の物語

その方はお母様の時からのかかわりでした。お母様の最 期は前日まで孫たちとお寿司を食べ歓談し、三女さんとお風呂に入ったとの事。その次の朝眠るように永眠され ました。


2年後のある日、同居していた長女さんから連絡があり、昨年大動脈解離に罹患し入院中に転倒、右手首を骨折したとの事。介護保険認定を受けたいとの相談があり認定を受け担当のケアマネとなったのです。

ご妹弟が毎日泊まり込みで介護をされ、ご妹弟の絆の強さに感激しておりました。介護保険サービスも最小限で利用されており、自分ができなくなってしまうことを懸 念されていた方でした。

韓流スターの後援会の役員もされ、何度も韓国へ行っていたので回復したら又韓国へ行くのが目標となっていました。

後にお会いした時も日本でのコンサートに行き、大好きだった韓流スターに合ったことを嬉しそうに話されて居た事を思い出します。

何時もご妹弟に感謝され自分でできる事を貫き通す姿が素晴らしいと感じてました。そんなある日ご妹弟様からの訃報に愕然と致しました。

連絡が取れないので自宅へご兄弟が訪問すると、眠るように息を引き取っていたとの事。大好きだったご両親の元へと旅立ったのでした。

ご妹弟様が弊社へ挨拶に来て下さった時も「きっと母が 心配して姉を連れて行ったのだと思います。」と誰よりもご兄弟に迷惑を掛けたくないと言っていたので姉らしい最期だと思うとも話されておりました。


自分の最期・・・誰もが他の人達に迷惑を掛けずにひっそりと願っていると思います。「朝寝して眠りの先に死 あれば」何処かで聞いた文言です。

自分で思い描いた最期を全うする人はそうはいないと思います。

そんな素敵なご家族にめぐり会えたことに感謝致します。

エピソード41 病気を患っても、常に上を目指す......
友人をも勇気づける、そんな強さの物語

その方は60代で脳出血に罹患され右半身に不全麻痺が残った方でした。
大きな病院でリハビリを受け自宅へ戻りましたが、常に自分自身を叱咤し毎日の生活で自分に負荷を与え、現状の自分に満足をしない方でした。

退院当初は右手で文字も書けず、ズボンも上げる事が難しかったのですが、毎日毎日リハビリを行い少しずつ身体機能を回復していったのでした。
その方の口癖は「私は今の自分に満足していない。常に上を目指しているのよ」と・・・素晴らしい言葉だと感激した事を鮮明に覚えております。

これからの自分の人生をどう生きるのかが私に課された問題だとも言われておりました。
人に対する言葉や態度も自分で変えて見せるんだと・・・

ある日その方が電話で友人と話されるのを聞いた時の感動が忘れられません。
電話口の友人も片麻痺でなかなか自分の体がきかないとの事。
その友人に「いいのよ。いいのよ。それでいいの。自分でできる事だけ一生懸命にやればいいのよ。

同居していたご主人も亡くされ、自分自身も辛く夕方になると涙が零れて仕方ないと話されていたのに友人を勇気づける優しさ、素晴らしいと思いました。
突然病に冒され今まで出来ていた事ができなくなる悲しさ、もどかしさ・・・そんなご利用者様の心に寄り添える介護職でありたいと思っております。

エピソード40 声を合わせて「ありがとうねぇ」が合言葉のご夫妻
素敵なご家族へ感謝の物語

その方は認知症に罹患しており娘さんと奥様の3人暮らしというご家族でした。
最初は娘さんからの相談と介護保険更新時の代理申請という関りでした。

今年に入ってお父様が癌だと診断されたとの連絡がありました。
訪問してみると右大腿に癌が転移していると痛そうに足を引いていたのでした。
抗癌剤の投与の為、入院となり在宅で最期を過すと決め退院致しました。

退院時はポータブルへの移乗も可能だったのも束の間、すぐにベット上の生活となってしまったのでした。
ヘルパーが訪問すると何時も奥様と声を合わせて「ありがとうねぇ」が合言葉、ご夫妻で冗談を言ったりと、とても素敵なご夫妻でした。

自宅での最期の時のご本人の発した言葉は、奥様の名前だったとの事。
最後までご家族を思って止まない気持ち・・・お悔やみに訪問した時にご家族様に 「お父様は何時もご家族の傍に居ますよ。私達に見えないだけですよ」と言うのが精一杯でした。
娘さんからも「これからも私達と関っていて下さいね」との言葉に胸が詰りました。

素敵なご家族様との出会いに感謝しております。

エピソード39 愛する人が亡くなっても、愛してやまない強い想い
そんな想いの中でご主人が生き続ける物語

その方は亡くなったご主人の事を愛してやまない人でした。いつも「主人の元へ行きたい」が口癖でした。お一人で暮らしておられ、自分の事は自分で何でもされておりましたが、だんだんと歩行が不安定となり、ベッド上の生活となってしまったのでした。私が始めてお会いしたのは、オムツをご自宅へ持って行ったときでした。

顔見知りのヘルパーに両手で手を振っていたので、とてもチャーミングな女性だなと感じました。当初はベッド上で食欲もあり元気だったのですが、だんだんと食事が摂れなくなりました。訪問診療が毎日点滴をしに訪問し始めたとき、担当の先生より「とにかく経口から水分と栄養を摂るように」との指示がありました。ヘルパー訪問の後、弊社の職員と交代で訪問して水分補給をして貰う為毎日訪問しておりました。

私が訪問した時ご主人の遺影の前に色紙があり、その中には「貴方の自転車の後ろに乗り風を切って走ったときの事を懐かしく想い出しております。貴方のことを想い出しては貴方の傍に行きたいといつも願ってます。・・・」等の文面でした。亡きご主人を愛する気持ちがひしひしと伝わり胸が熱くなったのを鮮明に覚えております。

そんな日々が、2週間程続いた朝、その方は愛するご主人の元へ旅立ったのでした。愛する人が亡くなっても、その人を想う気持ちが強い限りその人は他の人の中で生き続けるとの事。素敵なことだと思いました。

エピソード38 ご本人の生きる力、そして回復すると願う
ご家族の強い思いが起こした、奇跡の物語

その方は他のケアマネが退職する理由で7月に交代した方でした。
次男さんと住んでおり介護をされていましたが、初夏の暑さからか自宅で倒れていたのを発見。緊急搬送した結果、脳梗塞と診断されました。
嚥下障害もあり中心静脈栄養法(IVH)を余儀なくされ、主治医からは他の病院への移動を求められていました。次男さんからの相談で自宅近所の病院への移動を提案し転院。ご本人にお会いした時は全く応答もない状態でした。
しかし次男さんの強い希望で「自宅へ戻す」との意向により、担当医の方から説明を聞きに同席した時の事でした。次男さんより思いもよらない提案があったのです。
「もう一度口からの食事摂取を試みて欲しい。駄目ならお父さんも私も諦めます」との内容に担当医と私は驚きを隠せませんでした。
担当医もご家族様の意向であれば、と院内で経口摂取の試みが始まったのでした。
ゼリー食、ミキサー食と次々とハードルをクリアーし、2週間足らずでなんと、常食になったではありませんか。
勿論、中心静脈栄養は外されました。まさに奇跡としか言いようのない回復力でした。
退院となった当日、自宅で次の奇跡が起きたのです。
通所介護の職員がベットから本人を手引きで立ち上がらせた時、歩き始めたのです。
その場に居た介護事業所の皆様より歓声が上ったのはもちろん、次男さん始め皆様で顔を見合わせ笑い出してしまいました。私も「ビックリポンだよ」と言ってしまいました。ご本人の生きる力、そして回復すると思う次男さんの強い思いに感動した瞬間でした。次男さんとの「今日はお祝いだからお寿司を食べようね」「○○ちゃん、有難うねぇ」と会話を聞いた時になんとも言えない思いに駆られました。
ご利用者様お一人お一人の生きる力とご家族様の強い思いに勝るものはないと・・・少しでもお力になる事ができればと介護職としての役割を心に刻みました。

エピソード37 助け合う心が、人から人へ・・・
想いが紡がれていくことを感じる、ある女性の物語

先日旅立った方がおりました。
その方は娘様達が近隣に住んでおりましたが、できるだけ娘達には世話にならずに一人で暮らして生きたいと強く思い続けていた方でした。
関節リュウマチ、難病指定ビュルガー病に罹患されており常に上下肢や関節に痛みがありましたが、自分で出来ることを頑張られておりました。
自宅で何度も転倒を繰り返しながらも弱音を吐かない人でした。

ヘルパーの訪問回数を増やすように提案しても「大丈夫。大丈夫」と繰り返し言い続けていた素敵な方。
自宅で頑張っていたのも束の間、急に体調を崩し緊急搬送され1週間も経たない内にご主人の元へと旅立ったのでした。
娘様より連絡があり、自宅にある電化製品などの処分を頼まれ業者を紹介致しました。
電化製品はお金に換金できる事も伝えましたが、もし処分する費用が発生した時には、弊社の利用者様の困っている方々へ譲って欲しいと伝えたところ、娘さんより「まずは困っている方々を優先して下さい。お金に換金しても母は喜ばない・・・」との言葉に感激してしまいした。

弊社で関わっているご利用者様方には電化製品が揃っていない方々が沢山おります。そのような方々を支えているのは、お一人お一人の善意だと思うと胸が詰りました。
その方が居なくなっても色々な意味で他の人達の生活の中で生き続けていることが素晴らしいことだと考えます。ありがとうございます。といつも心の中で呟いております。

エピソード36 「一緒にオリンピックを見よう」という合言葉。
いつでも思いだされるご利用者との物語。

その方との出会いは凄く短いものでした。福祉事務所と包括からの依頼で自宅を訪問しましたが、身体が急に動かなくなってしまい室内が散乱しており、この環境の中で食事も摂らずによく生きていたという状 態でした。

弊社の職員総出で片付けて環境整備した事を懐かしく思い出します。
その方からのお言葉が印象的で「俺はあと5年生きられるのかなぁ」と何度も言われておりました。
その度に「一緒に東京オリンピックを見ましょうね」が私達介護職員の合い言葉になっていきました。

食事をしっかり摂り始めて一旦は元気を取り戻したのも束の間、急に状態が悪化して自宅で食事や水分が摂れない状況に陥ってしまったのでした。
緊急搬送された病院の担当医からの診断は肝臓癌との事。その方に延命処置はしないとの意向の確認をした時も「東京オリンピックを一緒に見ようね」と話され「絶対 約束ですよ」と答えるのが精一杯でした。

そんな約束をしてから2週間後のこと天国へと旅立たれました。約束・・・叶わない約束・・・時には生きる力となると信じてする約束・・・ご利用者様のお気持ちに寄り添うときに私達介護職の胸の中は一杯になってしまいます。
そんなとき心の中で呟く言葉は、いつも「貴方をわすれ ない」自転車に乗っているとき、仕事をしているとき、東京オリンピックのニュースを見たとき、貴方を想いだします。

エピソード35 「明日ありと思う心の仇桜」。
ご利用者の言葉で
今を生きる大切さを実感した物語。

その方は90歳を有に超え一人で暮らしている素敵な女性の方でした。
毎朝夫の仏壇に挨拶を欠かさずに1階から2階の階段を上がり降りして自分の身体を甘やかさないと
自分に何時も言い聞かせていると話されてたのが印象的でした。

「どこかお体の痛いところはないですか?」と聞くと「この歳まで生きてきたのだから痛いところだらけに決まっている。そんな野暮なことお聞きなさいますな」と言葉を返す方でした。
その方が長年生きてきた指針は「明日ありと思う心の仇桜」でした・・・

意味を聞くと桜はあすも美しく咲いているだろうと安心していると、その夜中に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。人生もそれと同じで、明日にはどうなるかわからないから、頼みにしてはいけない、という世の無常を説いた戒め(親鸞上人作といわれる和歌)だそうです。

当然のように自分には明日があると信じている。今を精一杯生きられない自分に気が付かされた瞬間でもありました。人生の大先輩達のご利用者様お一人お一人との出会いの中で学ばされている介護職に携われたことに感謝するとともに誇りに思っております。

エピソード34 独学で英語を勉強し、英語に触れながら生きてこられたご利用者。
一人ひとりの生活歴を活かすこととは何か、
考えさせられる物語。

その方と出会ったのはご家族様が本人の認知機能低下に気が付き心療内科で 「海馬が萎縮しておりアルツハイマー型認知症」と診断された時でした。
ご本人様は独居で弟さんが一人居るだけでしたが、その方の口癖が「一人で居るのは淋しくて嫌なの」でした。
独学で英語を勉強して通訳をして海外へも何度も行っていた素敵な方でした。

精神通院の通所介護、介護保険の通所介護、訪問介護と利用していましたが、周辺症状が進み近所を毎日徘徊しておりました。
私達介護職は「何故徘徊するのか」と不思議に思いましたが徘徊をする理由は毎回ありました。
目的があっての徘徊・・・社員総手で探し回り、やっと見つけ「見つけた!」と言うと「見つかった!」と返す チャーミングな方でした。

その方の思いに寄り添いたいと訪問診療の医師や各サービス事業所の方々にも分かる範囲の英語で話すように伝えた ものでした。弟さんが外国の友人からの手紙を持参すると英語で読み始め説明もしてくれたりと・・・弊社の電話番 号を呪文のようにいつも言い続けており、日に何度も何度も連絡が来たことが懐かしく思い出されます。

そんな魅力のある方でしたが認知症状が進行して在宅で水を飲む事も困難となり特養へ入所されました。
「人は永眠しても居なくならない、その人を思い出す人がいる限り生き続ける」と・・・素敵な笑顔、忘れません。

エピソード33 難病と闘いながらも魅力的な笑顔で過ごされた日々。
いつまでもその日々が思い出される、
ご利用者との思い出の物語

その方と初めてお会いした時は、65歳になる介護保険利用になるときでした。
失礼な言い方ですが少女のような面影を残したとってもチャーミングな魅力に驚いたのを鮮明に覚えております。

しかし、その方の身体は満身創痍・・・難病(短腸症候群)脳梗塞、脳腫瘍等の数々の病気と戦ってきた人でした。
気候が暑くなると脱水になり何ヶ月も入院しては在宅へ戻ることを繰り返し、主治医からも癌に例えれば末期と診断されておりましたが、自分の自伝を書いたり、綺麗な花を愛でたりと、自宅での些細なことにも感謝をする、人間としてとても素敵な方でした。
辛い闘病生活なのに私が訪問するといつも身近で感動した話、楽しい話をされ、ケラケラと笑うのです。 そんな中終わりは突然やってきました・・・

インフルエンザを患ってしまい緊急搬送されましたが、感染症の為自宅へ戻り翌朝、大好きだった自宅で息を引き取ってしまわれたのです。
ご主人様からは難病と診断された時から覚悟はできていたとのお話を聞きました。

いつでしたか・・・「今生きていられるのはヘルパーさんのお陰です、しいては貴方の采配のお陰です。ありがとう」と言われ涙が零れて止まらなくなったのを思い出しましたが、果たしてその方の苦しみや悲しみにどれだけ寄り添っていられたのかと思います。
「人は永眠しても居なくならない、その人を思い出す人がいる限り生き続ける」と・・・素敵な笑顔、忘れません。

エピソード32 「もう一度自分で歩けるようになりたい」。
強い思いで、再び一歩一歩を踏みしめた感動の物語。

その方と初めてお会いした時は、80歳を有に超え、70歳まで看護師に従事していた方でしたが、 自宅で急に動けなくなりこたつで寝起きをしていました。
息子さんが室内でシルバーカーに乗せトイレへ連れて行くような状態でした。
すぐにベット、訪問入浴を手配致しましたが、ご本人から「もう一度自分で歩けるようになりたいの」との言葉を聴いた時に自宅でリハビリを始めましょうと提案、訪問リハビリが訪問してその方の状態にあったリハビリが始まったのです・・・


1ヶ月近く経ったでしょうか、訪問リハビリの担当者から連絡がありリハビリで歩行器を試してみたいとの提案があり福祉用具担当者と私が同席したときでした。
ベットから立ち上がり歩行器を両手で握ると・・・
1歩・・・また1歩と歩き出したのです・・・


私達サービス関係者は思わず拍手、拍手、そして涙が零れたのでした・・・
ご本人様の強い思いと訪問リハビリ、福祉用具の関係者達が生み出した奇跡・・・

その後その方は自分でトイレへ行けるまでになったのです。
年齢ではなくその方の強い思い・・・その思いに少しでも寄り添いたいと常に私達介護職は考えております。

エピソード31 「母の介護を辛いと思ったことはない」。
天寿を全うしたご利用者と、母を愛する娘との絆の物語。

その方は先日100歳のお祝いを区役所から頂いたと喜んで話されていた方でした。
95歳位までは下駄を履いて闊歩され、お気に入りのデパートへ出かけては美味しい物を食べるのが大好きだったと。
自宅で転倒して右腕を骨折したことが介護を必要とするきっかけだったらしいのです。
要介護状態になっても娘さんとよく車椅子で出かけてコーヒーやジェラートを食べるのを楽しみにしておられました。お母様の介護をすると決めた時から入院させずに自宅で看取るというのが娘さんの口癖でした。

そんな折風邪をこじらせてベット上の生活となってしまい、体力は少しずつ低下していきました。
最後は娘さんの判断で点滴も痛みが伴う為中止されました。
夜娘さんが寝る時はご本人様との会話はあったらしいのですが、娘さんが朝起きてご本人の足の裏をコチョコチョとくすぐった(毎日の日課だったらしいです)ところ何の反応もなく、永遠の眠りについていたとのことでした。

それはそれは安らかな寝顔でした。
お別れに訪問した時に娘さんから「何年も母の介護をしてきましが、辛いと思ったことはなく、とても幸せな時間だったのよ」
「一片の悔いもない」との言葉を聴いたときに介護することは並大抵な覚悟ではできない中・・・介護者の方の感じかたでこんなにも違うものかと思い自宅で看取る事の素晴らしさを実感いたしました。
ご家族様の思いに介護職である私達がすこしでも寄り添えればと考えております。

エピソード30 「癌に負けず、家族にも迷惑をかけず」
家族を想い、力強く生ききったお人柄を想う物語。

その方は自営業を営んでおり、子供様3人が後継者として支えている方でした。
突然癌に罹患して免疫療法を行っていた時に出会いました。
その方の口癖は「まだ、まだ遣り残した仕事がある。癌に負けてられない」
そして、ご家族のことを常に心配されておりました。
一代で築いた方だけあって、とてもお話の上手なユーモアのセンスがある魅力的で人をひきつける人でした。
自宅で訪問診療、訪問看護等のサービスを利用されていましたが、癌が股間節に転移してしまい激痛に襲われ入院してしまったのです。
そんな折、娘さんから一度は自宅へ戻したいとの相談があり、ともかく体調の良い時期に退院する予定となったのも束の間、今後は頭と腕に癌が転移してしまったのでした。
娘さんが何日でも自宅へ戻ろうと本人に言ってもご本人が「帰ると家族に負担が掛かる」と言い巌として受け入れないとの連絡がありました。
娘さんからの要望で入院中も自費で訪問マッサージを利用したいとの事で手配致しましたが、担当者の方が実に丁寧にマッサージをしてくれ助かっているとの連絡を貰い、天国へ旅立たれる当日も訪問マッサージの方が施術を終わると息を引き取ったとの事。
自宅へお悔やみに訪問すると素敵なお顔で眠っているようでした。
最後までご家族を想い優しさに溢れたお人柄が偲ばれ涙が零れました。心に残る出会いに感謝致します。

エピソード29 「一度は入浴させてあげたい」という一途な想い。
ご利用者様と紡いだ絆の物語。

その方はご両親二人、夫を見送り、女手ひとつで二人の子供を育てたとても意思の強い人でした。
在宅酸素療法をしても自分でできる事は何でもされておりました。
日増しに体調が悪くなりベット上の生活になってしまい、連日、訪問診療、訪問看護が訪問して看護をしてましたが意識レベルは低下するばかりで経口からの食事摂取もできない状態に陥ってしまったのです。
ただ、その方が口にした言葉が「お風呂に入りたいなあ」。そこで訪問入浴の手配をいたしましたが血圧が低下してしまい中止となってしまいました。
私達介護職、訪問看護、訪問診療の先生も「一度は入浴させて上げたい」との一途な願いとなりました。
訪問入浴の方々も時間帯を変更して何とか血圧の安定している時に入浴をさせたいとの思いの中、その時はやってきました。
訪問入浴の職員から、「入れました。ご本人様から『気持ち良かった。』と言って頂きました」との報告を受け喜んだのも束の間・・・
次の日に夜間訪問介護が訪問すると急変しており訪問看護が駆けつけ暫くすると息を引き取ったとの事。
永遠の眠りについたのでした。
後日娘様より「母が最後にお風呂に入れて嬉しかった。有難う御座います」との感謝の言葉をいただきました。 長年住み慣れた安心できる我が家で最期を迎えることが、その人にとって一番しあわせなことだったのではないかと感じた瞬間でした。

エピソード28 さよならではなく、またお会いしましょう。
ご利用者様と過ごした大切な思い出。

先日大好きなご両親の元へ旅立ったご利用様がおります。その方は若い時から関節リュウマチに罹患しており身体の関節の痛みと戦っていた方でした。時間を掛けて車椅子へ移乗してトイレへ行ってましたが、ある日自宅で転倒してしまいベット上の生活となってしまいました。

何年もベット上の生活でしたが日々身体が衰弱されてしまい食事、水分も取れない状態となったしまった矢先の事。いつも「頑張る、頑張る」と前向きな言葉を口にしてましたが・・・状態が悪いとの報告に私が訪問すると「もう、駄目かも知れない・・・」と言い出してしまったのです。「往診の先生や訪問看護、私がついてるから大丈夫だよ、また元気になるから、そんなこと言わないでね」と言うのが精一杯で涙が零れてしまいました。

医療関係者からは「何時呼吸が止まってもおかしくない」との診断でしたが、最期は大好きだった訪問看護、訪問介護の担当者に看取られ息を引き取りました。一報が入って駆けつけると真新しいパジャマに着替えている時でした。「フー・フー」と声が聴こえたので訪問看護の方に確認すると心臓が止まったり動いたりしているのだとのこと・・・何故か私には私を待っててくれたように思え涙が止まりませんでした。ご利用者様との別れは辛く悲しいことですが、私が必ず言う言葉は「さよなら」ではなく「またお会いしましょうね」とお一人、お一人が今も私達介護職の胸の中で生き続けております。また何処かで再び会える日を楽しみに・・・

エピソード27 1つのお声から実感したこと、
介護に対する熱い思いはどこでも共通。

先日、嬉しい知らせが弊社へ届きました。

青森県で高齢者の健康推進や生きがいづくりに取り組んでいる、
市民ボランティア団体関係者の方からのご連絡でした。

お話を伺うと、弊社の広報誌「ライジングサンVoI.27」にて掲載した
「恐山まぁだだよ」の関係者様で、インターネットで弊社のホームページを
たまたまご覧になったことから、ご連絡を頂いたということでした。
サンライズ物語を読んで感動したとのお言葉とともに、広報誌の残数があれば
送って欲しいとのお声も頂けました。

東京と青森で距離は遠くても何かの縁で繋がっていたようで、とても胸が熱くなりました。
遠く離れていても介護に対する熱い思いは変わらないことを、誠に嬉しく感じています。
そして、日本全国で根強い市民ボランティアの方々が高齢者様の支援をしていらっしゃる事が今の高齢者社会を支えているのだと改めて感じました。

これからも日本の今を構築されてきた高齢者の方々が安心して暮らせる社会にせねばならないと考えます。

エピソード26 戦争で失った命。仲間、そして家族・・・今世では計り知れない経験を通し、
今尚後悔の念を抱えている人生の先輩の物語。

8月15日、終戦記念日を今年も迎えましたが、その度に思い出す方がいます。

その方は第二次世界大戦当時、敵戦上陸部隊に属し、最後はガダルカナル島(通称餓島)と呼ばれる太平洋戦争の激戦を極めた場所と言われるところにいらっしゃいました。
ガタルカナル島では、日本軍が食料をドラム缶で海から流すとアメリカ軍がことごとく打ち落とし海に沈められ、上陸当時200人ほど居た部下も、殆どが餓死してしまったそうです。

日本軍が助けに来るとの無線が入ったのは闇夜の晩。
怪我をした人を担ぎながら海辺まで移動した時も、怪我を負った仲間に「用を足すから降ろしてくれ」と言われ、ほんの一瞬離れると、その方はそのまま自決したと・・・想像を絶することですが、きっと仲間の負担になることを思っての決断だったのでしょう。
やっとの思いで浜辺まで辿り着いても日本軍の船が海で止まる事なく動いていたと・・・動く救助の船まで泳げなかった人達は、救助された隊員に向かって、その場で手を振っていたそうです。
浜辺に居た仲間を置き去りにせざるを得ない状況でしたが、助けられなかった自分に対して、今も後悔で胸が一杯になると話し、涙を流されておりました。

終戦記念日が来る度に当時を思いだされ辛い思いをしている方々は大勢居られると思います。
戦争とは絶対にしてはならない事だと、私達のように戦争を知らない世代も受け継いで後世の子供達に伝えていくべきだと強く感じます。

エピソード25 認知症に罹るご本人と、支えるご家族。それぞれの想いと苦悩を前に
私たちにできることとは何かを問う物語

その方は、認知症に罹患しても、やさしさを忘れない方でした。
同居していたご主人様を先に見送った頃から物忘れが始まり仏壇にご飯を供えることだけを一生懸命に行っておりましたが、その内、ご飯を炊く手順さえも忘れてしまいました。
ただご主人との思い出は覚えており、ご主人と結婚の時のプロポーズの言葉を何度も何度も繰り返し話されておりました。

「認知症は神様からの贈り物」という考え方があると聞いたことがあります。
人生には辛いことや悲しいことがあります。
家族や親しい友人たちとの別れや、老いていく恐怖をやわらげるため、認知症という贈り物を下さったの
ではないだろうかいう考え方のようです。

しかしこの方の息子さんによると、毎晩息子の自宅に電話をかけて来ており、着信拒否にしたとの事。
涙を零しながら話されていたことが胸に突き刺さりました。
以前の元気な母親が全てを忘れていくことは、認知症の家族を介護している方々にとっての辛さは計りしれないと思います。
そんな家族の辛さ、悲しみを少しでも和らげられたらと私達介護職は、ご本人様、ご家族様の思いに寄り添っていきたいと考えております。

エピソード24 ご自身の最期をどう過ごすか。決断する勇気と強さを
教えてくださった、あるご夫婦の物語

その方は、優しいご主人と二人で暮らしている方でした。
子供さんはいらっしゃいませんが、ご主人が若い頃は仕事から帰ってくると、食事の用意もしてくれたと楽しそうに話されておりました。

ご主人が病に倒れ、退院すると自宅で1週間も過ごさずに天国へと旅立ってしまいました。
ご主人が居なくなり、何度も泣きながら電話をして下さいましたが、そんな折・・・今度は奥様までもが癌と診断されてしまいました。
介護保険サービスの事業者が訪問する度に「早く夫の元に行きたい」と言われておりました・・・。
病は進行して、訪問看護の担当者より「あと2~3日かも知れない」との連絡があった次の日。訪問介護の責任者より「様子がおかしい」との連絡が入り、訪問すると意識もなく、ご本人の名前を呼んでも応答はありませんでした。

訪問看護の担当者が訪問してきたので「緊急搬送はできないのか」と確認すると、昨日、訪問看護の担当者が訪問した時にご本人より「自宅で最期を迎えたい。最後にこの洋服を着せて欲しい」との話があったとの事・・・

もう一度ご本人の耳元でお名前を呼び「聞こえますか」と言った時、奇跡は起こったのです。
突然両眼を開き、うなずいた直後、天国のご主人様のもとへ旅立たれました。
自分の最期をどう迎えたいか自分で決断されたことを思うと、胸が熱くなったのを覚えております。
ご利用者様お一人お一人の人生のありかたを見せて頂く度に、私達もこんな風になりたいと感じられることに感謝しております。

エピソード23 身体が動かなくなっても感謝の気持ちを忘れない、
素敵なご利用者様に生き方を教えていただいた物語

その方は、若い時からご苦労され堅実にご自身の人生を送ってらした方でした。
とても素敵な方で、訪問するヘルパーとの出会いにいつも感謝の言葉を伝えている方でした。

ある日、訪問時体調不良で訪問できなくなったヘルパーに代わり私が突然訪問した時の事でした。
連絡する間もなく訪問した私が謝罪すると、思いがけない言葉が返ってきました。
「私は自分で買い物へ行けないからヘルパーさんを頼んでいるのだから・・・誰が来てもありがたいのよ・・来てくれて有難う・・・」
一面識もなく仕事で来ている私に向かって言ってくれた言葉に、感激した瞬間でした。担当の各ヘルパーよりご本人が素敵な方だとの報告は受けておりましたが、一瞬にして人の心を魅了してしまうことのできるのは、ご苦労され、ご本人らしい人生を歩まれてきたからなのでしょう。

そんな中、何度か訪問する機会があり、訪問する度に若い頃の素敵なお話をされて、ますますその方の生き方に憧れていた矢先のとき・・・
担当のヘルパーから訪問しても応答がないとの知らせに大家さんに鍵を開けて貰うと・・・
その方は玄関先で倒れ息絶えておりました。常日頃から「誰にも迷惑は掛けたくない・・・病院へ入院したくない・・・」と仰っていた通り・・・自分の人生を全うされたのだと思い、涙が零れ止まらなくなった事を思い出します。

身体が思うように動かなくなっても感謝の気持ちを忘れずに何時も素敵な笑顔でいる事の難しさ・・・
誰もが真似できることではありません。
ご利用者様と出会い、お一人、お一人に人生に生き方を教えて頂いた事は介護職に携わることができた私達の宝であると感謝しております。

エピソード22 ともに病気を抱える夫婦が、最期まで支え合って、そして二人で天国へ・・・
この素敵な夫婦愛に、悲しくも感動すら覚える物語

その方は、若い時からご苦労され堅実にご自身の人生を送ってらした方でした。
とても素敵な方で、訪問するヘルパーとの出会いにいつも感謝の言葉を伝えている方でした。

ある日、訪問時体調不良で訪問できなくなったヘルパーに代わり私が突然訪問した時の事でした。
連絡する間もなく訪問した私が謝罪すると、思いがけない言葉が返ってきました。
「私は自分で買い物へ行けないからヘルパーさんを頼んでいるのだから・・・誰が来てもありがたいのよ・・来てくれて有難う・・・」
一面識もなく仕事で来ている私に向かって言ってくれた言葉に、感激した瞬間でした。担当の各ヘルパーよりご本人が素敵な方だとの報告は受けておりましたが、一瞬にして人の心を魅了してしまうことのできるのは、ご苦労され、ご本人らしい人生を歩まれてきたからなのでしょう。

そんな中、何度か訪問する機会があり、訪問する度に若い頃の素敵なお話をされて、ますますその方の生き方に憧れていた矢先のとき・・・
担当のヘルパーから訪問しても応答がないとの知らせに大家さんに鍵を開けて貰うと・・・
その方は玄関先で倒れ息絶えておりました。常日頃から「誰にも迷惑は掛けたくない・・・病院へ入院したくない・・・」と仰っていた通り・・・自分の人生を全うされたのだと思い、涙が零れ止まらなくなった事を思い出します。

身体が思うように動かなくなっても感謝の気持ちを忘れずに何時も素敵な笑顔でいる事の難しさ・・・
誰もが真似できることではありません。
ご利用者様と出会い、お一人、お一人に人生に生き方を教えて頂いた事は介護職に携わることができた私達の宝であると感謝しております。

エピソード21 その方に「もしものこと」があった時、あなたは冷静に対応できますか?今まで培った知識や経験について
深く深く考えさせられ、もっと努力しようと胸に刻んだ物語

その方は、腎不全を患い、週3回透析をされていて、食事や水分制限があった方でした。
とても自分に厳しい方でしたが、実に優しい一面があった方です。
最初お目にかかった頃はこちらも大変緊張して訪問したものでしたが、いつしかその方の優しさに触れ、
魅かれてしまいました。
当初緊張しながら訪問していたのが、他のヘルパーからの「いつも井上さんがいつ来るのか心待ちにし
ているのよ」との話を聞き、いつしか私もその方を訪問するのが楽しみになっていました。
その矢先のこと・・・
透析の送迎のため、新しいヘルパーに引き継ごうと訪問したときのこと、朝から体調が悪かったとのこ
とで、「透析の送迎をキャンセルして、病院まで送ってほしい」との言葉があったのです。
引き継ぎのヘルパーにお帰りいただこうとした瞬間に、ショック状態に陥り、私は慌てて119番通報し
ました。
救急の担当者から「息はしていますか?」の問いに、私は「呼吸が弱くなっています」と答えたら、担当
者から「では、パッシングして下さい」と・・・
以前、講習会で消防士の方に心肺蘇生法を学んだことはあったものの、実際にやったことはありません。
私は頭が真っ白になりそうでしたが、救急隊からの「枕を取って気道確保、肺をパッシングして口腔か
ら息を吹いて!」と指示をいただき、必死に何度も何度も行って呼吸を確認しました。
しかし、再びショックが起き、とうとう呼吸が止まってしまったのです。私は、ヘルパーと一緒に
なって「呼吸して!呼吸して下さい!」と何度も叫びましたが、涙ばかり溢れて、とても言葉になりま
せんでした。
救急隊より「心肺停止」と告げられた時は、愕然としたのを思い出します。
帰らぬ人となった亡骸が自宅へ戻った際に、私はヘルパーと一緒に訪問しましたが、娘様より「最期ま
でありがとうございます。きっと、母は大好きな井上さんを待っていたんだと思います」と、感謝のお
言葉をいただいたのには、少しだけ救われました。
とはいえ、果たして自分が行った心肺蘇生法は正しかったのか・・・
人の命を預かっている私たち。介護職として、もっともっと勉強しなければならない。
そう心に誓った瞬間でした。

エピソード20 ご利用者様を支えていると思いつつ、実は「支えられている」私たち・・・
やさしさに触れ、涙し、襟を正すことを肝に銘じたお話

その方は、自立支援法で関わった方でしたが、とても気さくで、事務所に良く来ては色々な話をされて
いた方でした。若い頃はとてもやんちゃで、その方の武勇伝を良く話されておりました。
その方のお人柄でしょうが、いつも「あけみ、あけみ」と名前で呼んで下さった方でした。

私が介護福祉士を受験したときのこと。
「受かったと分かったら必ず俺に連絡しろよ」と約束してはおりましたが、発表の当日、その方から突然連絡がありました。いわく「受かったのか?」と。
私が「受かりました」と答えると、何と事務所にケーキを持参して下さったのです!それもケーキの
プレートに「あけみ合格おめでとう」と書かれていたのです・・・
その方は、松葉杖なくては歩行も困難な方でした。
そんな不自由なお身体で、わざわざケーキをぶら下げて来て下さったのです。
そんな温かい気持ちに、私は思わず涙が零れてしまいました。

ご利用者様の温かいお気持ちに触れる度に、介護職としての自分自身に問いかけます。それほどのこと
を、果たして自分はできているのか、してきたのか、と。
私たちは、ご利用者様を「支援」させていただいてはおりますが、実は逆に「支えていただいて」おり
ます。そういう気持ちに気づかせてくれたこと、感謝に堪えません。
ひとつひとつの出会いを大切にさせて頂き、これからもご利用者様のお気持ちに寄り添える介護を目指
していかねばならないと心に決め、襟を正していく所存でございます。

エピソード19 お互いを気遣う、素晴らしい夫婦愛。
そのとき、ケアマネジャーにできることは

その方は、奥様と二人暮らしで、子供さんもいないご家庭のご主人様で、胃癌から骨転移が認められ、
もはや末期の癌と診断された矢先の頃でした。
私が初回訪問すると、ご主人と奥様がお互いを気遣う言葉に胸を打たれました。
骨転移による腰への痛みが酷いにも関わらず、「妻が心配で心配で……ともかく妻の介護が楽になれる
ようにしたいが為に介護保険サービスを利用したいんです」と。
奥様からも「○○さんが少しでも自宅で本人らしい生活ができるようにして欲しい……二人で抱き合っ
て泣いているのよ」と……なんとも素晴らしい夫婦愛に触れた瞬間でした。
限られた時間の中で、私に何ができるのだろうかと考え込んでしまいました。
考えた結果、居宅サービス計画書にこう記載しようと決心したのです。それは「ご本人様、ご家族様の
辛い、お互いを想いやる心に寄り添えるような……」というものでした。

どの利用者様でも同じであるべきですし、ありきたりと言えばそれまでです。
しかしあのとき、私はこの想いを込めて、居宅サービス計画書を作成したわけです。
担当者会議時に、私が作成した計画書を読み始めると、ご夫妻で泣き出してしまい「有難うございます
…… 」との言葉が……思わず、涙もろい私も涙が零れてしまいました。

介護保険サービスの種類や内容は限られたものですが、ご利用者様の為の居宅サービス計画は、おひと
り、おひとりのための計画でなければならないと、いつも念頭に置いて作成しているつもりです。時折、
ご利用様やご家族様の辛い想いに自分の気持ちを馳せるとき、涙が零れてくることがあります。
私達介護職にできることは、たかが知れています。
しかしせめて、その方々へ寄り添う気持ちだけは忘れてはいけないと、自分自身に言い聞かせている次
第で御座います。

エピソード18 「あなたが担当で本当によかった。ありがとう・・・」介護職にとって、これほどうれしい言葉はない。
光栄に思うとともに、身が引き締まったお話

その方は、弊社のケアマネ職員が担当だった方ですが、癌に罹患して抗癌剤を投与しておりました。負
担が大きい事から、ご家族様が自宅で看取る事を決め、癌の痛みにもじっと耐えて弱音を吐かない方で
した。
奥様がずっと傍で、ご主人様の身体を摩りながら、自宅介護しておりましたが・・・
ある日奥様がお風呂に入る為、主人様の傍を離れようとした時でした。
ご主人様が力の限り発した言葉が「ありがとう」と・・・
奥様が戻ってくると息を引き取っていたとの事。
先ほどの言葉が最期の言葉だったのかと泣き崩れてしまったと・・・
その後、担当のケアマネが、ご主人様に最後のお別れに訪問した時のこと。
亡くなる当日、看護師さんが訪問した時に、奥様とこんなことを話されていたそうです。その看護師さ
んいわく「奥様、いいケアマネさんにめぐり合って良かったねって、ご主人様と一緒に話していたのよ。
それを聞いて、私まで涙が零れてしまったわ」と。

こんな話を、担当ケアマネは泣きながら、私に報告してくれたのです。それを聞いた私も涙、涙・・・
私達介護職は、ご利用者様が最期を迎えるまでの間に、果たしてどれだけの事ができたのか。
こういう時はいつも自問自答してしまいます。ご本人様が最期を何処で迎えるのか・・・
その決断は、ご本人やご家族様にとって「死」という現実が目の前に現れた瞬間だったと思うと、
心が痛みます。
介護職として、ご本人様やご家族様の辛い想いにいかに添えるかが大切なことなのだと改めて実感し、
そして心に誓いました。

エピソード17 「自宅へ帰りたい」「元の生活に戻りたい」という切実な想い・・・つらい難病を患っても、
笑顔と希望を忘れなかった、あるご利用者様の物語

Aさんは、難病である直腸機能障害に罹患されて、ドレーン留置しておりましたが、子宮癌にも罹患し
てしまい、抗癌剤投与して退院された方でした。難病に罹患しているにもかかわらず、とても明るくて
ユーモアのセンスがあり、ヘルパーが訪問しても笑いが絶えない、とても気さくな方でした。

そんなAさんが感染症にかかり、再入院してお見舞いに訪問した時に「もう一度自宅へ帰りたいよ」と
私に向かって話されました。その言葉を聴いた私も「帰りましょうよ。自宅へ戻っても何も心配ないよ。
帰る時は私が迎えに来るから・・・」と言うのが精一杯で、涙が溢れてしまいました。
傍にいた担当の看護師さんも一緒に泣き出してしまいました。
Aさんも泣きながら「本当だよ。約束してね」と・・・
その後、奇跡的な回復をみせて退院が決まった時に、大学病院でのカンファを開き、医療との最終確認の
元、自宅へ戻られました。熱が出て苦しくなっても、Aさんは何時も「大丈夫、大丈夫」と言いつづけて
笑っていましたが・・ついに高熱が出て感染症となり、再々入院されてしまいました。

どんなにつらい時も笑顔でユーモアを忘れず、自分に携わる人々を魅了し続けた、とても素敵な人でし
た。今は大好きな両親の元に旅立たれましたが、介護職として充分な支援が出来たのかと、感慨深く心
に残る経験となりました。今も辛い時の、あの素敵な笑顔を思い出す時には、心の中でこう呟いており
ます。「めぐり逢えてありがとうございました」と・・・

エピソード16 施設入所される方への最後の訪問、
その日にかけられた言葉・・・

その方は、認知症に罹患され、徘徊を続けていた方でした。
自宅へ訪問しても、その方はいつもご不在、徘徊されているのです。警察に捜索願を出すこともしばしば・・・捜索して見つかり、自宅へ連れ戻されるというのを繰り返していた方でした。
さすがに、こんなことが何度も起こると、最悪の事態も想定されると懸念し、ケースワーカー等各サー
ビス事業所で検討した結果、施設に入所されることとなったのです。

そして施設へ入所する当日の朝、最後の援助をすべくご自宅へ訪問した時の出来事です。
その方は内向的で人見知りがあり、他の人とコミュニケーションを取るのが苦手な方でした。私は、そ
の方が施設入所されても穏やかに生活ができるようにと、施設の職員宛にお手紙を書いたのです。
その内容はこうでした。
「施設での生活に慣れるまで、時間が掛かると思いますが、○○さんはとても気持ちの優しい方ですの
で、どうか長い目で見てあげて下さるようお願い致します」と。
私は、最後の訪問時に、その手紙を玄関のドアに貼り付けました。
そして何時ものように朝食を用意して、退出する時・・・「○○さん、これで帰りますね」と声を掛
けると、玄関まで追いかけてきて「また明日も来てくれるよね」とおっしゃるので、私が「はい、来ま
すよ」と答えると「絶対だよ」と手を握るではありませんか!

実は、施設入所することを、ご本人には伝えていませんでした。
しかし、恐らく気配を察したのでしょう。私の手を離そうとしなかったのです・・・「大丈夫、明日も絶対来るから心配ありませんよ」と伝えると、やっと手を離してくれました。
認知機能が低下しても、人の思いは伝わるのだ…そう思うと、帰り道涙が止まらなくなってしまいまし
た。

その後、その方の担当者とお会いする機会があり、生活の状況を確認したところ、「施設で数年ぶりに
お風呂に入ったら風邪を引かれてしまい、入院となりベッド上の生活になってしまった」とのこと。
ああ、聞かなければよかった・・・私の正直な気持ちでした。
あの時の、その方の顔を今も思い出す時があります。施設入所という選択が、ご本人にとって最善の方法
だったのだろうかと・・・介護職として、今でも感慨深く心に残っております。

エピソード15 一人の男性の、潔い生き方と、最期の迎え方・・・
家族思いの男性が綴った、感動の物語

先日、あるご利用者様が天国に旅立たれ、後日そのご長女様よりお手紙をいただきました。
その内容に、弊社スタッフは皆涙なみだ・・・

その方は、自営業を営んでおり、従業員を何十人も抱えていた方でした。
長年頑張ってきた商売を、ついに辞めることとなり、その決断をした矢先・・・
ご自宅で倒れられ、何と診断は脳梗塞。左半身に麻痺が残ってしまい、在宅療養となりました。
しかし、悲劇は続きます。昨年自宅で転倒し、それが原因で寝たきり状態になってしまったのです。
聡明で仕事も頑張り、家族愛に満ちた方が、突きつけられた「寝たきり生活」という現実。心の整理が
つかず、生きる希望を失いかけたそうです。それでも奥様は、献身的な介護を続けてきました。

しかし、長年の介護疲れもあったのか、奥様は体調不良で入院されてしまいます。
そして、残念なことにご本人に脳梗塞が再発し、ついに天国へと旅立ってしまったのです。
その方はいつも、奥様を気遣っていました。「妻が可哀想だ」「申し訳ない」と、口癖のようにおっしゃっていました。

私は、旅立たれる前日、その方にお目にかかったのですが、こんなことを口にされたのです。
「家の子供たちは皆よい子達だよ」「俺の世話をしてくれる妻に感謝したい」と。
ご自身、相当つらいはずなのに、口にするのは家族への感謝の言葉ばかり。
奥様にこれ以上世話をかけたくないとの強い想いが、人生の最期に結びついてしまったのではないか。
これが、その方なりの「男の潔い引き際」だったのかと想うと、胸が詰まります。
もっとできることがあったのではないか。その無力さに皆愕然としていた時に、ご長女様からお手紙を
いただいたのです。
お手紙には、「パパをありがとう」という言葉が何回も綴られていました。
何もしてあげられなかったのに・・・

こんな無力な私たちに、「ありがとう」といってくれる方がいると思うと、それだけで力が湧いてきま
す。そして、介護職員として襟を正さなければならないと、強く心に誓う次第でございます。

エピソード14 住み慣れた自宅で、愛する家族に見守られ、最期を迎える・・・
これが「あたり前」の世の中であってほしい

その方は、夫に先立たれ、女手一つで自営業をされながら、お子様二人を立派に育て上げてきた方でし
た。
ある日膵臓がんに罹患し、余命半年と宣告されてベッド上での生活を余儀なくされました。歌がお好
きで、訪問入浴のスタッフさんが来ると、いつも一緒に歌いながら入浴されることを楽しみにされてい
る方でした。
もう一つの楽しみは、訪問診療の先生の訪問。先生が大好きで、いつも先生の訪問を心待ちにされてい
たそうです。

懸命に介護・看護を続けていましたが、ついに悲しい別れの時がやってきました。
お子様・お孫様・ご兄弟が集まりましたが、その方はご家族を前に、最期の10分前まで歌をうたって
いたそうです。大好きな訪問診療の先生が到着されるのを、待ち続けているかのようでした。
そして、先生が到着すると、最愛のご家族に見守られながら、その方はふっと息を引き取られました。
先生が到着されるまで、その方は懸命に、懸命に、命の灯を燃やし続けていたのでした。

その話をご家族から伺った時、私は確信しました。
在宅で介護をする上で、訪問診療がいかに必要不可欠であるかを。
在宅での看取り・・・ご家族にとって、愛する人が天国に旅立つその時を、自宅看取ることがいかに辛
いことか、私も母を看取った経験があるだけに、よくわかります。
今も尚、最期は病院で迎えるという方が多いのが現状ですが、見直そうという考えが主流になってきて
います。何よりご本人様にとって、住み慣れた自宅というのは、においや家族の声、近所の生活音さえ
も懐かしく、安心できる空間なのではないでしょうか!
私たちは、そんなご家族のつらい想いに少しでも寄り添い、ご本人様が安心して暮らせるような環境が創れるような、そんな介護職であらねばならないと考えております。

エピソード13 チームケアの大切さを、この時ほど感じたことはない…
あるサービス事業者が創った、すてきな物語

その方は、ご主人に先立たれ、女手ひとつで娘様を育ててあげた方でした。

ある日、関節リウマチに罹患してしまい、生活するのにとても苦労されました。
症状としては、尺側偏位しており、両手指・両下肢指が内側に折れ曲がり、拘縮もひどく、膝も伸展できないという大変つらい状況です。入浴も、立ったままでないと痛くてたまらないということで、ずっとシャワー浴を続けていました。

ある日、入浴中に転倒してしまい、ADLも下がりベッド上での生活となってしまいました。
何とか自宅で入浴できないか・・・我々は、訪問入浴のご利用を提案致しましたが、拒否の連続でした。
ご本人の意向を尊重しつつ、根気よく提案を続け、やっと初回入浴に繋げた時、物語が生まれます。
入浴後、ベッドに戻ると、その方がボロボロと涙を流されているではありませんか!心配になり、どう
して泣いているのか聞いてみたところ、こんな一言が・・・
「こんなによくしてもらったのは、今までで初めてです。それに感動してしまって・・・」と、涙が止
まりません。入浴スタッフの温かい声掛け、チームワークの良さに、とにかく感動したのだそうです。そして涙もろい私も入浴スタッフも、一緒に泣き始めてしまいました。

「そんなに泣かないで!○○さんが泣くと私達も涙が止まらなくなるのよ」と言うと、また涙が・・・涙の連鎖反応が止まらないのです。
今までできたことが、病気等によってできなくなる・・・とても無念だと思います。
そういう方にとって、訪問入浴サービスの利用は勇気のいることであり、自分の無力さに落胆する方も多いと聞きます。

訪問入浴スタッフは、声掛けや気遣いにより、その気持ちを思いやり、和らげているのです。
私も、何度も初回訪問入浴に立ち合っていますが、いつもながら素晴らしいチームワーク、段取りの良
さ、入浴実施時の職員の所作に感激しております。
そんな訪問入浴事業所の皆様に対し、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

エピソード12 星の数ほど人間はいても、その人にとって「特別な」人…
そういう人に、私たちはなりたい。

「パーキンソン病」という難病に罹患された方のお話です。

とても気が優しく、涙もろい方で、携わっているヘルパーさんからも「○ちゃん、」と通称で呼ばれて
いる方です(本当は、ご利用者様に「ちゃん」付けでお呼びするのは不適切なのですが、その方に対し
てだけはお許しいただいています)。

もう、ずいぶん前から援助させていただいていますが、日に日に認知機能も低下してきておりました。
以前携わっていたAヘルパーが、家庭の事情で一旦外れたものの、2年後にまた縁あって訪問する事になり、サービス提供責任者が引き継ぎに同行訪問した時、物語が始まります。

そのご利用者様に「このヘルパーのこと、覚えていますか?」と提供責任者が確認すると、その方は
「覚えてない」と言いながら、何とAヘルパーに抱きつき、泣き出したではありませんか!
私たちは、その時確信しました。
その方は、Aヘルパーの人柄を忘れてはいなかったのだ、と。そして、認知症とか病気とかを超越し、思
いがつながっていたのだ、と。介護職は、ご利用者様の辛い思い、悲しい思いを受け止めながら、日々仕事をしております。解決することは出来なくても、傾聴するだけで、その方の心が軽くなることもあります。それでも、時には抱えきれないほどの思いを受け止めることもあるのです。
そんな時、介護職としての自分の無力さに苛まれることも、1度や2度ではありません。
大切なことは、私達介護職は、ただ「仕事」というスタンスだけでご利用者様に接してはならないとい
うことです。
これは、簡単なことではありません。確かに「仕事」ではありますから。
それでも、どんな些細なことでも、例えばご利用者様が靴を買いたいが決めかねている時にそのことで
相談があったとしても、私たちはお気持ちに応えてあげたい。

それはなぜか・・・
その方が、星の数ほどいる知人や友人の中から、自分を選んで連絡を下さったからだと思うのです。
私達介護職には、担当しているご利用者様が何人もいらっしゃいます。しかし、ご利用者様にとっては、
自分が唯一無二の介護職なのです。私たちは、常にそういう気持ちを持って対応したいと考えております。

エピソード11 介護職だけが立ち会うことのできる、 素晴らしい瞬間
歩行できなかった方が目の前で見せてくれた奇跡

先日、ある利用者様(男性)のお宅で、担当者会議を開催した時のこと。

その方は退院後、立位保持歩行が全く出来なくなり、ベッド上での生活となってしまいました。主治医に
受診しても「原因不明」との診断。とても穏やかな方で、入院前までは、自転車で近所へ散策すること
が趣味だった方だったのに・・・

当日、訪問リハビリのPT(理学療法士)の方が、ご本人の身体機能確認も含めて会議に参加されたのです
が、ここで奇跡が起きます。
PTの方がご本人に歩行を促した時、何と1歩、2歩と歩き始めたではありませんか!!
ベッドにもどると、その方は肩を震わせ、顔をタオルで隠して泣き出してしまいました。
その場に居たご家族、サービス担当者、そして涙もろい私も涙・涙・涙・・とにかく感動致しました。

介護サービスは「チームケア」が基本です。
いつも感じている事ですが、訪問入浴、訪問看護、訪問リハビリ、通所介護、福祉用具貸与、訪問介護
等の専門的分野の視点、協力がいかに重要か・・・
このような頼りになるチームの存在なしに、ケアマネの仕事など成り立ちません(勝手に“チーム井上”
と心の中で叫んでいます)。

僭越ながら、私は介護職が天職だと思い込んでおりますが、この利用者様の熱い涙を見て、改めて「自分は素晴らしい仕事に携わっているのだ」と感じた次第です。それと同時に、責任の重さに身が引き締まる思いでした。私達ケアマネは、利用者様お一人お一人の声や専門職の皆様の意見に、真摯に耳を傾けていきたいと、改めて心に決めた瞬間でした。

エピソード10 メールやLINEではなかなか伝わらない、究極のコミュニケーション
感謝の言葉を、自らの手で書くこと

お正月といえば「年賀状」。
弊社では、各担当者がご利用者様に対し、感謝の気持ちをこめて言葉にしたため、お出ししています。

あるお正月、こちらから年賀状をお出ししたあとに、わざわざ弊社を尋ねてきて下さったご利用者様がい
らっしゃいました。その方いわく「最近の年賀状は形式ばったものばかりなので、正直読んだら捨てていました。でも、おたくの担当者はわざわざ直筆で書いてくれて、しかもその言葉が何と心に染みたことか・・・とにかく、とてもうれしかったんです」と涙を流され、感謝の気持ちを伝えて下さったのです。

自分が担当するご利用者様に対して、ただ感謝の気持ちを伝えたい・・・ただそれだけでした。
なのに、この「サプライズ訪問」と、いただいた温かいお言葉に感動し、思わずもらい泣きをしてしま
いました。
このご利用者様は、きっと辛い経験や、嬉しい経験を沢山されてこられた方なのだなと感じました。こ
の方のように、人からの優しさをより多く感じることのできる人間になれるよう、私たちは成長しなけ
ればいけない・・・正直な気持ちです。
ご利用者様の辛い思い、悲しい思いを受け止められような介護職にならなければ、いいサービスは提
供できません。そういう使命感を、この方に改めて教えていただきました。

エピソード9 新人だったあの頃、勇気と自信を与えてくれた言葉
「言霊(ことだま)」の力

ある女性ご利用者様のお話です。
その方は、若い頃から障害者手帳の交付を受けられており、何度も入退院を繰り返されていた方でした。

ある日、私が臨時にその方のご自宅を訪問して、食事作りをしていた時のこと。
出来上がった料理を見て、「おいしそうにできているわね。愛情がこもっているわ。一目見ればすぐに
わかるのよ」とおっしゃってくれたのです。
その当時、私はなりたての新人ヘルパーで、右も左もわからず不安の毎日を過ごしていました。
「自分の援助は、果たして皆さんにご満足いただけているのか」と思うと、心配で不安でたまりません
でした。
あの時も、私が調理している姿が、自信なさげに見えたのでしょう。
だからこそ、その労いの言葉に、私は心が揺れ、思わず涙がこぼれて止まりませんでした。

ご利用者様もさることながら、ご主人様も素晴らしい方で、病床に伏す自分の妻に対し「何も心配する
ことはないよ」といつも勇気づけてくれたそうです。
そんな温かい言葉をかけてもらうご利用者様が、こんなことをおっしゃっていました。
「主人の優しさに応えられない自分が悲しい。お金なんかいらないの!健康さえあればいいの!なのに、
自分はこんな身体で・・・こんな自分なら死んだ方がましだけど、病気では死ねないのよ」と。
初めて会った新人の私に向かって、思いの丈をぶつけて下さったのです。
私は、この言葉に感銘を受けずにはいられませんでした。

人の心に響く言葉・・・
辛い闘病生活を送られた方だからこそ、伝えられるのだなと感じました。
「言霊」ともいいますが、私たちのような介護に従事する者にとって、人に伝える言葉の重みや大切さ
を知ることはとても重要です。ご利用者様お一人お一人に対してかけさせていただく言葉を、私たちは
学ばなければならないと痛感しております。

エピソード8 認知症状のある方の行動を「問題行動」と解釈したくない!
できることは、必ずある

そのご利用者様は、認知症と診断された方で、義歯は作ったものの使うのをずっと拒否されていた方で
した。ヘルパーが促してもうまく行かず、甚だ困り果てておりました。
どうしたら、うまく行くのだろうか・・・
そう思いつつ、義歯の必要性を再確認するために、毎日足しげくご利用者様宅を訪問し、義歯の装着を
試みた次第です。

そんなある日、担当ヘルパーからの連絡で「自分で義歯をつけたよ」との報告が!!
その言葉に、舞い上がるほどうれしくなった私は、即ご利用者様のご自宅に駆け付けたのを覚えていま
す。口腔ケアを継続することが、どれほど大事なことか・・・
唾液を飲み込むことができなくなると、誤嚥性肺炎を発症するリスクが高まることは、皆様よくご存知かと思いますが、欠損部分を義歯で補うことにより、咀嚼能力が増して誤嚥のリスクが低くなると、医師から聞きました。
医療的なことはもとより、ここで学んだことは、「認知症状があるからといって、ケアをあきらめて
はいけない」ということ。
以前は、認知症に伴う行動を「問題行動」などと言っておりました。

しかし、別にその方は問題を起こしているわけではないのです。
今は、その症状を「認知症の周辺症状(BPSD)」というようになりましたが、とにもかくにも口腔ケアの必要性を認識すること、そして何よりも、認知症だからといって「ケアすることをあきらめな
い」という姿勢、これが大事なのだということを痛感しております。

エピソード7 介護を通じて
「家族の大切さ」を改めて痛感したお話

お子様を出産されてすぐに、「関節リウマチ」にかかってしまった、ある女性利用者様のお話です。
本来、すぐに治療しなければならない病気ですが、子育ての忙しさにかまけてしまい、治療を放棄した結果重篤になってしまった方でした。

その後、お子様も独立され、夫婦二人暮らしをされていた時に、ついにリウマチの症状が悪化してしまったのです。

最悪なことに、それまでに服用していた薬の副作用により、頸椎が融解し呼吸困難になってしまい、救急搬送、即緊急手術となりました。
頸椎をワイヤーで止めるという手術で、頭部にリングをはめて固定するというもので、大の男でも根を上げるという辛い治療にも耐え、在宅へ戻られた方でした。

そんな折に、今度は旦那様がガンを罹患され・・・
ご本人様もまた体調を崩され、偶然にも同じ病棟に入院されることになったのですが、旦那様のガンが相当の末期状態。衰弱するのはあっという間でした。

そしてある日、旦那様が奥様(ご本人)の名前を呼び続け、ついに最期を迎えたとのこと。

私がその利用者様の援助中にお聞きした、後日談。
一番無念だったのは、「夫が自分を呼んでいるのに、何もしてあげられなかったこと」だと。
その無念さを、利用者様は声を振り絞るように話されていて、私は援助中にも関わらず涙が溢れて止まりませんでした。
その後、娘さんのご自宅で介護を受けていましたが、「ご主人を大切にしなさい」と口癖のように私に話して下さり、いつも前向きで、勇気と優しさを心に届けて下さった方でした。
ご利用者様の辛く悲しい気持ちを解消することはできないかもしれません。
しかし、せめてその想いに添うことはできます。
そのことをいつも心に秘めて、介護職として接していきたいと思っております。

エピソード6  
自分が決めた「生き方」と「最期の迎え方」

ある男性のお話です。

その方は、会社を定年退職され、第二の人生を過ごされていました。
趣味が多彩な方で、自分もこんな老後を迎えたいと、うらやましく思っておりました。

そんな最中に、突然の病がご本人に襲いかかったのです。
その病名は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)。
最近、ALSの啓蒙のため取組み「アイス・バケツ・チャレンジ」が、世界中で話題となりました。
日に日に、運動機能が低下していく難病です。
ご本人がそれを自覚するようになった時に、私とめぐりあったのです。
難病にかかっても、その方はいつも素敵で魅力的な方でした。
時間の経過とともに身体はどんどん動けなくなり、痛みも伴う中、決して弱音を吐かない方でした。
間違いなく苦しいはずなのに・・・

その方と関わるようになって、一番印象に残った言葉があります。
それは、ALSにかかってしまったら、その瞬間に「自分の死に方」を選択しなければならないという言
葉でした。一所懸命、日本のため家族のために働いて、やっと第二の余生を楽しめると思った矢先の出来事。神様は、何と残酷なことをするのだと思ったものです。

その方が下した決断は「人工呼吸器はつけない」というものでした。
人間は呼吸困難が続くと、数分で死に至ると言われています。死の中で最も苦しいのが「窒息」だとも言われます。
「人工呼吸器をつけない」ということは、それも覚悟の上であるということだったのでしょう。
でも、万一呼吸困難になって「助けて」と言ったらどうしようと、その方は不安を漏らされていました。

その後、その方は少しずつ食が細くなり、ついには一番大好きだったヘルパーさんの援助中に、天国に旅立たれたのです。
もしかしたら、食が細くなったのも、ご自身の意思によるものではないかと思えてなりませんでした。
確証があるわけではありませんが・・・

もちろん、お亡くなりになったのですから、悲しいに決まっています。
でも、それ以上に、私は何とも言えない清々しい想いが心に残りました。
これが、「自分が決めた通りの生き方」「自分らしい最期の迎え方」だったのだと思えたからです。

私は、いつまでも介助者の心に残るような生き方が、果たして出来ているだろうか。
そんなことを考えさせられた、感慨深い貴重な体験となりました。

エピソード5 元気だった自分が、突然の難病に…もしそうなったら、
あなたはご自分を受け入れられますか?

奥様と二人三脚で、自営業をされていた方のお話です。

ある日突然、難病に罹患してしまい、自営が続けられなくなり引退。二人で静かに暮らしていらっしゃいました。
私が担当ケアマネジャーになり、初めて訪問調査に伺った時のこと・・・
「食事はご自分で摂れますか?」の問いに、ご本人様が突然泣き出されてしまったのです。びっくりし、どうなさったのかを尋ねたところ、そばにいらっしゃった奥様のお答えはこうでした。

「食事が上手に摂れなくなり、エプロンをかけて自力で食べてもらっているのですが、どうしても食べこぼしがあるために、私が手伝おうとすると、主人が拒否するのです」と。
それを聞いたご本人様、今まで我慢されていたものが爆発したのでしょう。「ごはんを食べるのも、人に手伝ってもらなければならないなんて、情けない・・・」と、また大粒の涙をこぼして泣き出し、それを見た奥様も、「お父さん、泣かないで」と言いながら、もらい泣きしていらっしゃったのです。
涙もろい私も、つられて・・・涙。

何とかなぐさめなければ、と思った私。
しかし、気の利いたことも言えず、「何もお父様が悪いわけではありませんよ。これは病気が為せる業なのですから、何も情けないなんてことはありません。今までご家族のために一所懸命働き、支えてこられたのですから、できないことは奥様が快く手伝ってくれますよ」というのが精一杯でした。

ある日突然、難病に罹患してしまったご本人様、それを支えるご家族様。その思いに、介護支援専門員としてどれだけ添うことが出来るのでしょうか。自分に置き換えた場合、果たして自分はその事実を受け入れることができるだろうか。そういう想いに苛まれ、悩んだことを思い出します。

しかし、当のご本人様はもっと思い悩み、苦しんでいらっしゃる。そういう方々に対し、介護のプロとして何ができるか・・・

できることは、ほんのわずかかもしれません。しかし、少しでもその方の気持ちに添うことで、ご本人様・ご家族様の不安なお気持ちが軽くなればと考えております。

エピソード4 大切な方の、最期の時・・・
介護職として何ができるか

お産婆さんをされていた、あるご利用者様のお話です。
 
過去に、数えきれない程の新生児を取り上げた方・・・ご自身のお部屋には、取り上げた子供の成長したお写真が何枚も保管されており、その時の出来事を話して下さるのを、私は訪問するたびに楽しみにしていました。
 
しかし、月日の経過に伴い、その利用者様もだんだんと身体が弱ってきて、拘縮もかなり進んでいました。さぞ、お辛かったことでしょう。
そんなある日のこと、いつもは愉快にお話をして下さるのに、その時ばかりは弱音を吐かれたのです。
「こんな姿になってしまって、私はこれ以上生きていたくない」と。
細って弱っていく自分の身を案じたのか、そうおっしゃってただただ泣かれたのです。
 
この光景を目の当たりにした私は悲しくなり、不覚にも涙が止まらなくなってしまいました。
 
そんな中、傍らでお聞きになっていた娘さんが、お母様に対しおっしゃった言葉が、今でも印象に残っています。「お母さんは、生きているだけでいいのよ」と。その通りだなと、痛感しました。
 
その言葉に勇気づけられたのか、娘さんの思いを知っていたのか、その後は弱音を言うことなく、またいつものように、楽しかったお産婆さんだった時の話をされておりました。
 
そしてついに、人生の終焉の時が訪れます。その方は、大好きな娘さんたちに見守られながら、ご自宅で幸せな最期を迎えられました。
 
私も、母を自宅で看取りました。
両親とは、どんなことがあっても自分を味方してくれる、かけがえのない存在です。
自分にありったけの愛情を注いでくれた母。そんな母を介護していた時間は、かけがえのない時間であり、また幸福なひと時だったと・・・
 
そんな大切な時間を共有できる介護職という仕事、とても素晴らしい職業だと感じ、胸を張って頑張っています!!

エピソード3  
若かりし頃の素敵な思い出

不定愁訴があり、夕方になると血圧が高くなると、気にされていたご利用者様(女性)がいらっしゃいました。その方の、素敵な思い出話を、ここに披露させていただきます。

学校を卒業して、出版会社に就職した時のことです。
そこで知り合った、運命の男性・・・お互い惹かれあい、お付き合いが始まりました。
それから2年、結婚を意識するようになった矢先・・・その男性から、「ほかの女性と結婚するので、別れたい」と言われ、泣く泣く別れることになってしまったのです。それはそれは、悲しみに暮れたそうです。

その後、良縁があり、結婚され、二人の子供にも恵まれました。家族が出来たことの喜び。これが「幸せ」ということなのね・・・と。
しかし正月になると、欠かすことなく毎年年賀状を送ってくれる人がいたのです。
その送り主、何と自分と別れた男性からではありませんか!!普通、結婚前に付き合っていた彼氏からの連絡を、よく思わない旦那様、多いのではないでしょうか?なのに、その利用者様の旦那様は、「あなたの待っていた年賀状が来たよ!」と、毎回手渡ししてくれたというのです。

実に懐の深い、素敵な旦那様ですね。旦那様は、残念ながらご逝去されましたが、そのあとも滞ることなく、男性から年賀状が届き続けたとのこと。

そのご利用者様が、ある時、こんなことを話してくれました。
「夢の中では、若かりし頃の自分のままで、彼に会えるのがうれしいのです。毎晩ふとんの中で、『今日も夢の中で彼に会えますように』と祈って、眠るのですよ」と。
とてもチャーミングで、少女のように純粋な方でした。淡く切ない思い出。それを人に伝える時に、若かりし頃の自分に戻れることは、本当に素敵なことなのだなと、強く感じた次第です。

皆さんには、心がキュンとなるような素敵な思い出、ありますか?
どうぞ、その思い出は心の中に、大切にしまっていただければと思います。

エピソード2  
心に響く言葉

ご利用者B様は、小さい時に障がいを患い、それ以降車いすでの生活を余儀なくされました。
そんなある日電動車いすへ移乗しようとした時に、転倒してしまったそうです。
その時にたまたま通りかかった小学生が、「おじさん、大丈夫?」と声をかけてくれました。
B様はうれしさのあまり「ありがとう。君のお母さんは素晴らしい人だね」と言ったところ、その小学生
は「ぼくのお母さんはふつうの人だよ」と言いました。

その話を、ある日B様から伺ったのですが、ご本人いわく「私は、障がいを持つ人が転倒している時に、
『大丈夫?』と声をかけることのできる子どもは、さぞかし親の教育が行き届いているのだろうと思って
、その子に声をかけたんだよ」と仰いました。
その時、子どもがどう感じたかはわかりません。でも、B様はいっぱいの気持ちを込めて、伝えたそうで
す。
そのエピソードを聞き、思わず胸が熱くなり、同時に目頭が熱くなったのを覚えております。
身体に何の障がいもない人間だったら、その子がかけた言葉を、どう捉えたでしょうか。それ程心に留ま
ることもなく、当たり前のこととして見過ごされる可能性は、十分あるかもしれません。

何気ない言葉。でも、心に響く言葉。
障がいや病気になった時こそ見えるもの、心に突き刺さる言葉は、あるのですね。

エピソード1  
ご家族から頂いたお手紙

長きにわたり関わらせていただいたA様が、先日大好きなご両親の元に旅立たれました。

このご利用者様とは、弊社設立時からのお付き合い。
若い時に結核を患い、長期療養されていた時に、短歌の師匠に出会われたとのこと。
それから、短歌が大好きになり、すっかりのめり込まれたそうです。
その師匠の方がお亡くなりになり、お墓参りに行かれた時に詠まれた短歌が、実に素晴らしかった
のが思い出されます。
A様は笑顔が大変チャーミングで、介護状態になっても最期まで前向きな明るい方でした。
そんな中、突然の訃報・・・弊社職員も大変悲しみに暮れ落胆していた時に届いた、1通のお手紙が
届きました。そのお手紙はご本人の妹様からで、そこには有り余る程の感謝のメッセージがありました。
私たち介護職ができることといえば、ご本人様やご家族様のご負担を、ほんの少し軽減すること位です。
それでも、力になることができていたというのは本望であり、こんなに嬉しいことはありません。
改めて、介護という仕事のやりがいと素晴らしさを、再認識した次第です。

A様のご家族様、本当にありがとうございました。心より、故人様のご冥福をお祈り申し上げます。