サンライズ・メイト・バート 代表取締役の井上です。
父のお話の続きです。
父が亡くなってから、家業の豆腐屋は日の出の勢いで発展しました。
父が残してくれた足跡を、母が忠実に歩んでいった結果、売上はものすごいことになっていました。
当時、私はまだ小学生でしたが、母が寝ている姿を見たことはありません。
それだけ忙しかったし、また働き者の母親でした。
学校を卒業してすぐ、私は家業の仕事を手伝い始めました。
両親同様、働くことが好きな私は、それこそ毎日一所懸命働いたものです。
しかし、月日の経過に伴い、押し寄せる不景気の波が・・・
世間の風向きが悪くなり、景気が下火傾向になってくるようになると、家業も厳しい状況に追い込まれました。
ついには、給料もまともに支払えない状況になってしまったのです。
それまで、母の加護の下、家業しか知らない私は、今後どうしたらいいのか、それはそれは思い悩んだものです。
そんな時、近所に住む幼馴染のお姉さんから言われた言葉。
「外へ出たらいいんじゃない?」と。
家業しか経験のない私にとって、外へ出て働くことは、相当の勇気が要ることでした。
しかし、一大決心をして実家の会社を辞め、人生初の就活をすることになったのです。
続きは次回に・・・